最終日、旅の終わり、新たな始まり。
日本から遥か彼方、遠い異国の地"ムシア"
そこは、罪を背負った巡礼者たちの終着点とされる岬。
ある日の夕暮れ時、そこに1人の女の子が到着しました。
歩きはじめて38日目、雨の日も風の日も休むことなく歩き続けて920キロ。
日に焼けた顔は野暮ったく、髪はボサボサ、服はヨレヨレ。ドロドロの靴を脱げば足はマメだらけでした。
綺麗な化粧も、可愛い服も、おしゃれな靴も、もはや彼女には必要ありませんでした。
大切なのは、歩き続けることのできる丈夫な体と、決して折れない意志だけでした。
"歩いてここまで来たの?"
宿の主人が問いました。
"そう、歩いて来たの!"
笑顔で答えたその顔は、38日前よりもずっとずっと穏やかで、すっきりとしていました。
岬に沈む夕日を眺めながら、女の子はある人へと電話をかけます。
自分の起こした事件の、犠牲者となったあの人へ。
何も言わずに逃げ出してしまって、ちゃんと話すことができなかったあの人へ。
日本は真夜中だったけれど、その大事なコールは繋がりました。
"もしもし"
久方ぶりに聞く母国語は、懐かしい声でした。懐かしい懐かしい声でした。その一言だけで、涙が溢れるほどでした。
それから何を話したかなんて、ちゃんと覚えていません。
女の子はただひたすらその人に謝り、その人はただひたすら "もういいのよ、もう大丈夫よ" と繰り返しました。
女の子が許してほしかった相手は、神でも自分自身でもなく、かつて自分が裏切り、今はもう会えないほど遠く離れてしまった大切な人でした。
彼女はこの道を歩き、そのことに気づいたのです。
そしてこの道を踏破し、その人ともう一度、今度は逃げずに話す勇気を得たのです。
かくして彼女は、1年と8ヶ月の月日を経て、ようやく自分の罪と向き合い、許しを請うことができたのでした。
めでたしめでたし…?(笑)
はい、てなわけで私の巡礼クライマックスは、日本への電話で終了しました。
ちょっとここには書きづらい事情なんで詳しいことは伏せますが、逃げ出してからずっとずっと、ちゃんと謝りたかった人と話すことができました。
さすがに電話一本でスッキリ!…とはいきませんが、兎にも角にも話をする勇気を得られたことは本当に大きかったです。
ずっと、謝ることすらも身勝手で許されないと思っていた私ですが、
"920キロも、自分の足で歩き切ったんだから。あの事件を償うつもりで歩き切ったんだから。"
という思いが、"電話ぐらいならしてもいいんじゃないか?"
とついに私の背中を押してくれました。
ありがとう、巡礼路カミーノデサンティアゴ。
私の旅は、ひとまずこれでおしまい。
でもこれで終わったとは思ってません。
全部きれいに…というわけではないけれど、とりあえず自分の中で決着がつく程度には過去を清算できたので、これからは未来に向かって生きていかなければなりません。
明日からは、もう矢印はないけれど。
自分の心に従って。
(巡礼者ノートに書かれていた言葉。素敵!)
ムシアの岬にて、果てしなく広大な海を眺めながら、仲間たちとそれぞれの新たな出発を鼓舞し合いました。
さようなら巡礼路。さようならみんな。
ありがとう。どうか元気で。
そしてこの道でのすべての出来事に感謝を!
2016年10月29日、帰還。