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800km歩いたら許してくれますか?

2016年、カミーノデサンティアゴ全行程を踏破。現在はきままにヨーロッパを周遊する21歳女子学生の日記。

家出娘の日記

 

 

そもそもことの始まりはなんだったのか。

 

 

私が初めて日本の外に出たのは、高校3年生の夏。

 

自分で言うのもなんだけど、私の出身校は全国でも10本の指に入る有名進学校。夏真っ盛り、受験モード一色。

落ちこぼれだった私はその空気に耐えられず…

 

「ちょっと気分転換に外の世界を見てきます!!しばらくほっといてください!!!!!」

と学校をサボって当時世界の中心だった(と勝手に思いこんでいた)ニューヨーク行きの飛行機に1人で乗りこんだのが、最初の海外旅行(笑)

 

 

違う言語を喋る人々、でっかい食べ物、キラッキラに輝いてみえたタイムズスクエアに圧巻のブロードウェイミュージカル。

 

なにもかもが素晴らしく感じた単純な私は、アメリカの大学に入学しようと本気で考えた。(ほんまにアホ)

 

まぁしかしそんな簡単にいくわけもなく(そこまでのやる気とお金もなく)、結局はふつ〜に地元を出て、東京の大学へ。

 

1年間、ほどほどに授業を頑張りつつ、飲み会したり、適当にバイトしたり…そんな大学生らしい充実した毎日を送っていたのだけど…

 

 

1年生の冬に起こったある事件をきっかけに、少額の貯金と、電源を切ったスマホを持って、1人黙って東京から脱走。

家族にすら一切連絡しなかった。

 

夜行バスで東京から離れ、気のむくままに日本各地をフラフラ。両親や友達のことなんてまったく頭になかった。(今思えばなんて親不孝な娘!!!)

 

 

しかしまぁそんなに遊んでられるお金もないので、とある旅館の住み込みバイトで働くことに。

 

辺鄙なところにあるその旅館に向かうバスの中、初めて携帯の電源を入れた。

おびただしい量の着信履歴とメールが流れ込んで来た。親から、友達から、大学から…。自分の予想を遥かに上回る騒動となってたみたい。怖くてほとんど読めなかった。そのまままた電源を落とした。

 

 

 

旅館の仕事は楽しかった。

海の見える小さな寮に1人部屋がもらえたし、ご飯も三食付き。社員食堂にご飯と味噌汁のジャーがあって、自由に食べていい。お昼と夜にはおかずが一皿つく。板前さんと仲良くなると、たまに余ったお客さん用料理を回してくれることもあった。

 

朝6時にお客さんの朝食を準備するところから始まって、お昼前にお見送り。そのあと中休みがあって(だいたい昼寝か本を読んだりしてた)、夕方再びお客さんをお出迎えして夕食の準備をする。

夜11時には仕事が終わり、旅館のお風呂に入って就寝。露天風呂からは海がみえて、もう夜も遅く貸切で、最高だった。

 

 

しばらくその旅館で働いてお金ができると、また違う町に行きたくなった。のでそこを辞めて、再びフラフラ。今度はいままであまり行ったことのなかった九州へ。

 

私はとても海が好きなので、海の素晴らしいとある離島に住みたくなった。そこでスナックのバイトを始めた。小さな部屋(いやむしろ小屋か?)が店の裏にあり、そこに寝泊まりさせてもらった。

もちろん家出中だということは誰にも言わなかった。

 

日中は海辺を散歩したり近くの山に登ったりして過ごして、夜8時ごろからお店に出た。

お給料はよかった。私は歌がそこそこ得意だったので、よく歌ってお金を稼いだりもした(十八番は相川七瀬)。

ママは太っ腹ないい人で仕事が終わるといつもご飯に連れていってくれた。明け方食べる飲み屋のラーメンは最高においしかった。

 

そのうち1つ上の従業員の女の子とすごく仲良くなって、その子のアパートに居候することに。一緒に買い物して、ご飯をつくって、仕事に行って、夜は贅沢にもハーゲンダッツを毎日食べる。ほんとに気があって、楽しかった。その子にだけは本当のことを話した。

 

ある日、酔った勢いでとうとうママにも家出中だと打ち明けた。(正直、ママはうすうす気づいていた気がする。私は大学の春休みだと嘘をついていたけど、もう春休みの時期はとっくに過ぎていた)

 

ママは最後まで優しく聞いてくれた後、私に五万円の現金を渡して、「一度親にだけは顔をみせてちゃんと話さなあかんよ。このお金で帰り。もしまたここに戻ってきたかったらいつでも帰って来ていいから。」と。

泣いた。

 

 

というわけで、お店の人たちとお客さんに暖かく見送られながら私は船でそこを出た。

数日のうちに実家に戻った。夏前だった。殺されるんじゃないかとビビりまくっていたけど、両親は怒るでも、大袈裟に喜ぶでもなく、いつも通り迎えてくれて、ご飯を出してくれた。

親の偉大さを思い知った。

 

 

その後しばらくは無気力に実家で過ごした。(いわゆるニート)

が、ある日ふとあのニューヨークの日々を思い出した。

 

「いいなぁ〜外国…」

 

ぐらいの気の抜けた感じで、留学することに決めた。

もちろんニューヨークも魅力的だったけど、色々考えてスペインにした。

 

私は意外にも(?)美術が大好き。特にサルバドール・ダリという画家の大ファン。

ダリの出身地フィゲラスのすぐ近くにあり、ピカソ、ミロ、ガウディといった偉大な芸術家たちを続々と排出した街、バルセロナに行くことに決めた。海もあるし。

8月が終わる頃だった。

 

 

とにかく大金が必要だったので、すぐに時給の高い東京に戻り、そこから死に物狂いでバイトした。年末年始も返上して働き、手取りで月25万近く稼いだ。

 

学生ビザをとり、今年3月、ようやく念願のスペインへ。

 

空港までは母が送ってくれた。

「遠くなるけど、勝手にいなくなられるより随分マシ」

と笑ってた。

 

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…というのが私がスペインに踏み入れるまでのザックリとした経緯です。随分長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれた人いんのかな?(笑)

 

 

何故突然こんなことを書いたのかというと、最近パソコンの写真を整理しながら、

 

結構ヨーロッパあちこち旅行したな…ここよかった…これおいしかった…あ、誰かに自慢したい…

 

と思いまして、ここに密かに貧乏娘の旅行記を綴ろうと考えたわけです(笑)

 

その為にまず、どういう経緯でスペインにいるのかを明らかにした方がいいかなぁと思いまして、当時の日記を読みながらまとめました。

 

カミーノデサンティアゴ全く関係ないやん!?

というツッコミは受け付けません。(他に記録する場所がなかったんや!!!)

 

 

私はバックパッカーなんてやる度胸も根性もないので、バルセロナを拠点に各地へ気ままなショートトリップ。アフリカから北欧まで。LCCで。

 

面白かった話、起こった事件、おいしかったものや、オススメしたい場所なんかを具体的に(できるだけ値段や交通手段なんかもつけて)、紹介していきたいと思います。

興味のある方は、暇なときにでもさらっと読んでいただけると幸いです。(笑)

 

(今日はね、もう疲れたから無理だけど)

 

 

 

 

以上、shioirikunからのお知らせでした〜。

ありがとうございました。