800km歩いたら許してくれますか?

2016年、21歳の女子大生がカミーノデサンティアゴフランス人の道を踏破したお話です。

25日目、私を許すのは神ではない。

 

今日、深い霧の中、険しい山を登ってついにあの地につきました。

 

そう、"Cruz de Hierro" に。

 

 

 

…いやどこやねん、て感じでしょうね!!

 

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"Cruz de Hierro"とは、カミーノデサンティアゴ終盤、巡礼路で最も標高の高いところに建てられたこの十字架の名前です。

 

このクロスの下に、自分が持って来た石を積むのが、だいだい巡礼者の習慣です。

(私も重いのを我慢して出発直後から石を持ち歩いてきてたんや〜)

 

巡礼者の持ち歩いた石は、その人が今までの人生の中で犯してきた罪を表しており、それをここに置くことで捨て去ることができるんだそうです。

 

仮にこの後に待ち構える難所、セブレイロ山を越えることができなくとも、ここまで自分の足で歩いてきたあなたを、神は許しますよ、というとても重要な地なんですね。

 

 

…ということで、私もちゃっかり石を置いてきたわけです。

 

みなさんもご存知のように、私が巡礼をする理由は、"罪を償って許されるため" です。

詳しくはこちらに↓

 出発前夜 - 800km歩いたら許してくれますか?

 

 

別に人生を変えたいとか、自分探しの旅とか、長距離ハイクが好きだ!とかそういうんじゃないんです。

むしろ長い時間歩くのは嫌いなぐらいです。

 

私は、許されるならなんでもいいんです。

ここで石を積んで、クロスに祈って、それで神様が許してくれるならそれでいいじゃないかと。

わざわざ険しいセブレイロを越えて、まだまだ遠くのサンティアゴを目指す必要があるのかと。

 

そう思いながら、今日ついに、クロスの足元に立ったわけですが…

 

 

 

うーん、やっぱりあかんわ…

 

たとえ神様が私を許しても、私はまだ私を許せない…許さない。

 

私が自分にした約束は、

"サンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩ききれたら、あの時の自分を許す。"

ならそれまでは、誰が私を許そうが、それが神だろうが、私にとっては意味がない。

 

 

と気づきました。

 

私を許して、未来へ進むことを認められるのは私だけなんです。神様にはできないんです。

 

だから明日も歩きます。

歩き終わったら、過去を清算…はできないけど受け入れて、次のステージに進めるように。

そういう新しい私を、私が認められるように。

 

 

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そんな決意もあらたに、山々を見下ろせるぐらい高いところを歩いたら気持ちが良かった(笑)